前2回の記事に引き続き、加山雄三さんによる飛鳥Ⅱさんぽです。

今回は、飛鳥Ⅱを運行する方々を紹介します。

若大将と同様に心から海を愛する皆さんです。

朝から強い風が吹いていても、ブリッジでは最新の注意を払いながら、飛鳥Ⅱの運行が行われています。

指揮をとるのは、船長の増山正巳さんです。2年前に、この船の五代目の船長に就任しました。

増山船長に、「海の魅力とは?」と尋ねると、「たまに、日頃の日常と違った表情を見せてくれる。休暇中に家にいると、太陽なんかもそんなに見ないが、海に出ているとそういったものも見ますし、後一つとして同じ表情がない、優しい表情をすることもあるし、厳しい表情をすることもあります。」とのこと。

増山船長によると、良い船の条件は、人、乗組員だと思いますとのこと。

どんなに素晴らしい入れ物があっても、心がこもらないとダメです。

伊藤一等航海士は、小さい時、小学校の時から船乗りになりたいと思いました。

そのきっかけは、地元の名古屋港に帆船の日本丸が入港してきて、親に連れられて何気なく見に行ったら、「あ、これに乗りたい」と思い、それから神戸の商船大学新居行きました。

親に帆船を見に連れて行ってもらわなかったら、何になったか分かりません。

神戸の商船大学で、帆船のマストに登った時は大変怖かったそうです。

伊藤一等航海士の生きがいとは、貨物船からクルーズ客船に移ってきた経験からすると貨物船は、オイルや物資を運ぶという日本の生命線をになっているという誇りがありましたが、客船に移ってくると、一班の方々に海を知ってもらう一つのツールとして客船に乗ってもらうことだそうです。

後は、陸にいるのと全く違うということを飛鳥Ⅱを通じて体験してもらうお手伝いができることです。

笠松二等航海士にも同様の質問をすると、やはり笠松航海士も以前は貨物船に乗っていました。

飛鳥Ⅱでは、貨物船では行かない港、皆さんによく知られている世界的な港によく行くことがあります。

確かに船上から海の風景を眺めていると海に魅せられる気持ちもわかります。

しかし、海と船にかける思いといえば加山さんも負けてはいません。

中学2年の時、自分で船を造ったというか山さんに話を聞いてみました。

「造った船に乗った喜びというよりも、設計者の満足感のほうが強かった」そうです。

完成した時以前に、想像の世界ではすでに乗ってしまっているそうです。

加山さんは、現在までに23隻の船を設計しています。

作るまでには相当面白いことをしています。

ちゃんとその形を模型で作って、普通の画用紙で模型を作るのですが、ロウを溶かし
て塗って乾かすと全然水が染み込みません。

模型の船に、ヒゴでマストを立て、その上に板鉛をのせて、どのくらい載せると倒れるかの実験をしたりしました。

昭和27年にそんな風にして造ったカヌー二号艇は、船底に懐中を見るための窓も付けましたが、加山ミュージアムに残っています。

この2号艇は、独特の船底をしていて、茅ヶ崎の荒波にも強く、自分では秀作と思っているそうです。

実は、加山さんの中学生の時に家庭教師をしてもらったのが商船大学の学生でした。

その方が書いた船の設計図を見て、真似して書いたのが始まりでした。

その後、三代目の光進丸に至るまで、様々な船の設計をしてきましたが、現在取り組んでいるのがエコシップです。

エコシップとは、燃料が不要で、再生可能エネルギーだけでまかなえる船のことで、災害救助、移動式発電所の機能を持つ船です。

陸上でダメになっても、海上を行くことができれば、島などが被災すると、その島に行って水や電気を供給できれば、それが災害救助になります。

エコシップは、今や大学や企業が加わり、プロジェクトが進んでいます。

アメンボウをヒントに、揺れない船体を目指し設計したというエコシップです。

災害救助だけでなく、航行能力も抜群のものを目指しています。

80歳でエベレスト登頂に成功した冒険家の三浦雄一郎さんに刺激されて、加山さんが80歳の時にはエコシップを完成させたいそうです。

さて、2泊3日の若大将クルーズも終わりに近づき、加山さんが名誉船長を勤めた飛鳥Ⅱも横浜港に戻ってきました。

実は、加山さんは、このクルーズの間に多くの写真を撮っていました。

出港時の夜景、デッキからの海、様々な空の表情、船旅ならではの数々の絶景をカメラに収めました。

その中で、加山さんが気に入ったのが房総半島の近くで捉えた美しい日の出です。

今回は、この写真を加山さんは絵にすることにしました。

下書きなしで絵筆を握った加山さんは、薄めに色を塗り、ティッシュでさらに薄く伸ばし、山肌と海面の色が溶けあう風景をボカシを多用しつつ描きあげました。